世間では「令和のデビルマン」など、ひどい言われようが聞こえてきてましたが、あえて火中の栗を拾ってきました。
しかし、自分にはなぜあれほどひどいレビューが出回るのか全くわからないくらい「良い出来だった」と思えました。
(以下、ストーリー上のネタバレを含みます。)
結論から言うと「DQVが大好きだった人、こだわりがある人 以外 なら問題なく楽しめる」と思います。
絵柄は鳥山絵では無いけれどディズニー(ピクサー)っぽくよく動いているし、町並みも不満はありません。もちろん主人公のリュカを演じる佐藤健くんをはじめとする俳優声優陣も違和感はありません(棒はいないと言う意味で)。ゲマの吉田鋼太郎さんに至っては素晴らしい怪演でした。
ストーリーはゲームから一部変更されてはいますが、これも2時間枠に収めるには致し方ないといったところ。自分は小説版やCDは未読未聴取ですが、スーファミ版のゲームを発売当時にプレイした身としては文句をつけるところはありませんでした。いくつかの(わざとらしい)伏線も回収できているし、なにより嫁選択の苦悩をうまく解決できていたのが何より。
終盤の「ラスボスがウィルスで、ゲームメタ視点に引き戻される」点が、賛否の「否」のレビューの原因なのだろうとは理解できますが、あのすべての動きが停止してしまう感覚って、ファミコンやスーファミで「バグった」ときの感覚と全く同じなんですよね。(最近のゲームではまず発生しない現象なのでしょうが。)ゲームにのめり込んでいたのに、一気にプレイヤー視線になる感覚。映画ではウィルスが原因でしたが、ほんの僅かな接触不良やゲーム機本体への衝撃(つい足に当たるとか)でそうなったんですよ昔は。
ウィルス作成者は「ゲームは無駄、おとなになれ」という意見の集合体であるわけで、あの当時の「世間」であるのです。でも、エンターテイメントは映画も本もゲームもすべて同じレベルで「もう一つの体験」たりうるのです。
ラストシーンでビアンカに小突かれる主人公が「痛いよ、ほんとに痛いよ」と何度も繰り返すところ、空想や仮想世界であっても体験は体験としてその人にのこるものだと思います。
自分は賛否の「賛」の方なので、これはあくまで想像ですが、「ゲームをプレイすることを認める映画」に嫌悪感を覚えた人たちが「否」のレビューをしているのではないでしょうか。つまり「そんなことは当たり前で他人にわざわざ『認めてもらう』必要はない」と。
このどんでん返しが蛇足だという意見には40%くらい賛成します。
じゃあ、映画にどんなものを求めていたの?という疑問が60%くらい残ります。
ゲームの中のストーリーをそのまま美しい3DCGで再現し、素晴らしい声を当ててさえくれたら良かったのか。
原作付き映画のそういう「改変」を原作レイプとか監督の勝手だとか言うのは簡単です。でも、メディアミックスをするときは必ず発生しうるものなのだと、自分はそう思っています。そもそも「原作者」としての堀井雄二氏が監修を通しているのですから。
で、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」はつまらなかったのか?
自分はそんなことはなく、とても良くできた作品だったと評価します。
そうそう、エンディングテーマが「DQ3」のエンディングだったのは、違和感よりも嬉しかったですよ。この曲一番好きな曲なので。