GODZILLA 星を喰う者

三部作の最後。

前回ラストで神を殺すには人であることを超えなければならないと命題に、人であることをやめない選択をしたハルオ。

ビルサルドのナノメタルに侵食されたユウコを救えるのか。

今回も「虚淵玄」でした。

第1作が人類の文化を中心に据えた軍隊によるゴジラ攻略。前回がビルサルドの文明を中心に「メカゴジラ細胞:ナノメタル」を用いた戦術。そして今回はエクシフの信仰科学による作戦と、破壊の王ゴジラ・アースに向かいかたの違いが描かれていたんだなと、全て見終わって想います。

そんな中、最後にゴジラへの特攻を行わなかったハルオは、母船の中央委員会で問題として取り上げられ、会議は紛糾します。ハルオのせいで将校たちが無駄死にになったとビルサルドは追求し、無断でパイロットにナノマシンを侵食させたことを人類は追求します。結論はでず、もの別れに終わるのですが、結局ビルサルドは主張を通すために動力室を占拠して(つまりは武力テロで)強硬手段にでます。

その間、エクシフのメトフィエスとエンダルフは人の不安につけこむように、エクシフの神の奇跡を刷り込んていきます。ただ、エクシフの神は数学的帰結による未来の演算結果なので、実態があるようです。

人々が神の奇跡を祈ると、人の命を糧にしてそこに現れたのは「ギドラ」。次元の向こう側からやってきたそれは、ゴジラへの攻撃を行うと同時にゴジラからの攻撃を全く素通しして受け付けません。虚数的な存在と言えるのでしょうか。

しかしギドラの存在はそこにある全てのものを破壊します。地球でさえも。

メトフィエスはハルオにも、自分とともにギドラの一部となることを説きますが、ハルオはフツアのミアナに言われた「勝つとは生きること。生き延びること。命をつなぐこと」という意見に賛同し、メトフィエスを拒絶。これによって、ギドラは次元の向こう側からこちら側に実体化し、ゴジラの攻撃が有効に。

結果として、ギドラは敗北し、ゴジラは健在となります。

母船を失った降下部隊は、やむを得ずフツアの民とともに暮らすことになり、ミアナはハルオの子を身ごもります。原始時代のような生活にもなれてきたところで、人類の環境生物学者マーティンによってユウコから取り出されたナノメタルを使ってヴァルチャーを修繕。無限に増殖できるナノメタルで文明を取り戻せると宣言。

ハルオは「ゴジラは極端に文明を発達させ周囲にとって危険となった人類種の元に現れる」「怪獣を怪獣たらしめるのは、人の畏怖」というメトフィエスから聞いた事実と、人類を生き延びさせる方法を考えた末、ユウコを伴ってヴァルチャーでゴジラに最後の特攻をかけます。これで人類が近代文明を短時間で取り戻すことはできなくなったわけです。

ラストシーンはフツアの民の成人の儀式。そこには年老いたミアナの姿がありました。人類は生き残り、生き延び、すなわちゴジラに勝利したのです。

うーーむ。虚淵節炸裂ですなー。

かつての初代ゴジラでも、オキシジェン・デストロイヤーで退治されたゴジラを前に、「このゴジラが最後の一匹であるとは思えない。人類が驕り高ぶったとき、再びゴジラは現れるのではないだろうか」というセリフで物語が終わるのです。ゴジラはやはり人の戒めなのでしょう。

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