ハリウッドゴジラ、見てきました。
うーん。ゴジラ映画ってそうじゃないんじゃないかなー。
基本ストーリーが
“謎の振動によって発生した原発の崩壊事故により、妻を失った男がその原因を追い続ける。15年後、陸軍爆発物処理兵になった息子はそんな父親の話を信じられず、その目で原発跡地に隠され続けていた怪物の復活を目の当りにし、同時に父親を失う。父母の仇となった怪物(ムートー)を倒すため、自分の家族を守るため米軍の作戦に参加する”
というものなので・・・。
怪獣映画にそんなヒューマンドラマはいらんと思うのですよ。
ゴジラが古代から生存し続けている生態系の頂点であるという解釈は、東宝ゴジラが自然の脅威のメタファーだったことからまあいいと思うのですが、ムートーの存在はなんなのかよくわかりません。ゴジラに倒されるためだけに登場したみたいで、不憫さも感じます。
ゴジラ映画の敵方怪獣というのは、ゴジラを凌駕しかねないほどの存在感や強さを持っているものです。それがムートーには感じられなかったのが残念ですね。
あと、米軍のムートーせん滅作戦は、いろんなところで失態があり、これも残念。例えば、
- 蛹状態でとらえた雌ムートーを解剖調査した後、各廃棄物処理場に放り込んで監視もせずに置いた。
- ムートーをおびき寄せるための核ミサイルの時限信管を、運搬中にセットしたため、カリフォルニアの町中での爆発の危険を招いた。せめて爆発予定地へ運ぶ船の上で設定すればよいのに。
- ムートーが電磁パルスによって周囲数キロの電源喪失現象を引き起こせることがわかっているのに、電子制御の塊である戦闘機を戦場に投入している(このため、多くの機体が墜落している)。
結局この作戦、実行しなくてもゴジラがムートーを斃してくれてしまっています。人間とゴジラとの共闘が全くないといってもいいです。人間側(主人公)が巣穴の卵を焼き尽くしたところだけかな?
最後のニュース画面のテロップ「ゴジラは救世主か?」という疑問形なところも、創造主以外の神を認めたくない宗教観が出ているのかとも思います。
せっかくの怪獣映画なんだから、実在しない人間側の兵器も出してほしかったなぁ。
まあ、続編も決まったようですし、きっとまた見に行っちゃうんでしょう。